「乳がん」「大動脈瘤」70代の母に見つかった二大病魔〈その5〉

「乳がん」「大動脈瘤」70代の母に見つかった二大病魔〈その4〉はこちら


 【一か月に及ぶ入院期間】 

乳がんの手術か無事に終わり、約一か月で退院となりました。

入院が長引いたのも腰に水が溜まる状態がなかなか改善されずに、一週間、また一週間と伸びていった為です。

ここで長い入院期間での事を書いていきます。

ICU(集中治療室)での看護を終えて一般病棟に移る日が来ました。地元では最大規模と言ってもいい大学病院でしたが旧館と新館(新新館も建造中)で病室の広さや設備が結構変わります。私も小学生の時にアレルギー性鼻炎の治療で定期通院していたのですが、その頃は新館等はありませんでした。

病室に対しては何も希望を伝えていなかったので追加料金のかからない四人部屋に案内されました。追加料金のかかる個室や二人部屋(病院によって形式に違いあり)を希望する場合は患者からの申告がいるのですね。

実はこの四人部屋が問題だったのです

あくまで人によるとは思うのですが、集中治療室を出たばかりという事を差し引いても入院中の病室では静かにしたいと思いませんか。寂しくなったり、誰かと話をしたくなったら談話室やスペースが病室の近くにあるのです。

この四人部屋では先に入院されている三名の方(当然ですが全員女性で比較的高齢の方々)は病名はわかりませんが長く入院されているようで、部屋のルールを自分達で作っていました。

・個人のエリアを区切るカーテンは原作として閉めない

・共用の通路?は椅子を並べて談話スペース

正直に言いますが私はこんな病室は嫌です。2日や3日ならまだしも、入院がいつまで続くのかも見えていない段階でしたので。

母は入院費用の事等で私と姉に負担を掛けさせたくないと思っていたのか、何も言いませんでしたが抵抗があるのは親だからわかります。

三人の方には笑顔で挨拶し、私は直ぐにナースステーションに費用が掛かっても個室は厳しいのでせめて二人部屋にしてほしい要望を伝え、運よく2日後に病室を変わる事が出来ました。

ここで誤解がないように付け加えますが、同室の方々が嫌なのではなく、体調が完全でない時には落ち着ける空間も必要だと思っています。数年前に私自身が緊急入院した事があるのですが、生死の境を彷徨い集中治療室に一週間、何とか快方に向かって一般病棟に二週間の入院でした。これからの事が不安になったりの中での入院でしたので、皆でワイワイなんて気持ちにはなれない時もあったのです。

先に書きましたように、腰に溜まる水が中々減らずに一週間、また一週間と退院は伸びて母はかなり辛かったと思いますが、私と姉は病院にいる事で安心出来ていました。

母もリハビリを担当して下さった若い女性の方と仲良くなって良くおしゃべりしていると喜んでいましたし、入院生活の中でも楽しめる事を作ろうとしました。

私も出勤前と帰宅後の二匹の愛猫の世話で日々が過ぎていきました。


スポンサーリンク

退院後も大変です

やっと母は退院し、自宅でのリハビリと日常生活に慣れる日々が始まりました。

入院時以前よりも機敏に動けない事は母にとっても大変だったと思います。加えて25日間毎日の放射線治療の日々が始まりました。流石に私も姉も毎日は付き添えません。

名古屋市の外れ部分に自宅はありますが大学病院は遠すぎる為、紹介してもらった総合病院(大動脈瘤を発見してくれた病院です)に通う事になりました。病院までは車なら10分前後と近いのですが、公共機関の使用が不便で市バスも沿線のバス停が近所になく、駅まで母が歩くと30分はかかります。

乳がんだけであれば…母には心臓の病が残っており、お医者様からも夏の炎天下の徒歩での通院は禁止されていました。不便な地域にお住まいのご高齢の方々の苦労を垣間見た気がします。

結局はタクシーしかないので、毎日タクシーで通院してもらい私達が行ける日は同行する事になりました。親切だったタクシーの運転手さんにも感謝ですね。

時期は9月。年末に乳がんと大動脈瘤が発見されてから約9ヶ月が経過していました。母も姉も私も大きな山を乗り越えた気になり、それまで張り詰めていた心が少し休まるのを感じていました。

でも、病魔が私達にくれた小休止の期間はとても短いものだという事をこの時は予想もしませんでした。

スポンサーリンク
パソコンh2上
パソコンh2上

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする